2018年04月02日
桜の日立中央研究所庭園&お鷹の道 散策
春秋年2回の庭園解放日の昨日、「この指とまれ!」で集まった8人で春の一日を楽しみました。
国分寺駅をスタートし、最初に立ち止ったのは元プロボクシング世界チャンピオンの輪島功一さんが経営する「だんごの輪島」
「日立中央研究所」
国分寺駅から歩いて10分足らずで到着。門をくぐってすぐの橋の名前は「へんじんばし」。「返仁橋」と表記されていますが「変人橋」の意味もあるとか。
その名前の由来は、「遠い将来に向かって独創的な基礎研究を進めるためには、何よりも一徹で、ある意味で変人と言われるようなひたむきさが重要である。一歩研究所に踏みこんだならば、変人であれ。しかし橋を渡り世間に戻る時には、人をいつくしむ心、すなわち仁に返れ。」と日立のウェヴサイトにあるそうです。
この研究所の建設にあたっては、小平浪平創業社長の「よい立木は切らず によけて建てよ」という意志を受けて構内の樹木は極力守られ、武蔵野の面影を今に残す貴重な自然が残っている園内には123種、2万7,000本もの樹木があり、年間100トンのCo2を吸収、人間300人分のCo2の排出量に匹敵しているということです。
「へんじんばし」の下はまさに手つかずのジャングルのよう。
園内のマップを貰って模擬店コーナーをチェック。地元産の日本酒も売られていましたが、園内での飲酒はできません。
さあ、いよいよ散策開始。次々と春の花々が道の先に広がります。
シャガ
スミレ
ツツジ
山 吹
竹の子
そしてもちろん桜も
面積10,000㎡の大沼には構内の湧水が集まり、水門から野川の流れにつながって行きます。
研究所散策を終えた一行は次なる目的地へ
「お鷹の道」
江戸時代に国分寺市内の村々は尾張徳川家のお鷹場に指定されていました。
それにちなんで、国分寺崖線下の湧水が集まり野川注ぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名付け、現在約350mの遊歩道として整備されています。
「真姿の池湧水群」
真姿の池をはじめとする崖線下の湧水群は、環境省選定名水百選の一つに選ばれています。
嘉祥元年(848)、絶世の美女 といわれた玉造小町が病気に苦しみ、病の平癒を願い全国行脚した際に、武蔵国分寺で願をかけたところ、「池で身を清めよ」との霊 示を受けて快癒したとの言い伝えから現在は弁財天祀られいます。
池は病を治し健康な姿になれる、というこで「真姿の池」と名付けられました。
「武蔵国分寺跡資料館」
国分寺は、天平 13 年( 741年)に聖武天皇が仏教よる国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺( こくぶんにじ )に分かれています。
ここ武蔵国に置かれた国分僧寺は現在も発掘調査が続いています。
武蔵国分寺七重塔推定復元模型
銅造観世音菩薩立像
「武蔵国分寺」
お鷹の道西はずれにあり、正式名称は医王山景勝院国分寺、真言宗豊山派の寺院。
伝承では「分倍河原の戦い」で焼失した武蔵国寺は、新田義貞の寄進により薬師堂が再建されたと伝 わっています。 江戸時代に入ると徳川幕府は、由緒ある寺社に領地を与えて保護をしました。国分寺の薬師堂も三代将軍家光から慶安元 年に九石八斗九升八合の寄進を受け、朱印状を下されました。以後、十四代家茂までの朱印が残っており享保 18 年には本堂も再建されました。
現在の本堂は昭和 62 年に改築されたもの。境内に 文化財保存館、万葉植物園があります。
「国分尼寺跡」
尼寺区域は調査が終わっており歴史公園として整備されています。
たくさんの自然に触れ、歴史の勉強もし、楽しい一日でした。
この次の日立研究所公開日は11月18日、素晴らしい紅葉が見られることでしょう。
国分寺駅をスタートし、最初に立ち止ったのは元プロボクシング世界チャンピオンの輪島功一さんが経営する「だんごの輪島」
「日立中央研究所」
国分寺駅から歩いて10分足らずで到着。門をくぐってすぐの橋の名前は「へんじんばし」。「返仁橋」と表記されていますが「変人橋」の意味もあるとか。
その名前の由来は、「遠い将来に向かって独創的な基礎研究を進めるためには、何よりも一徹で、ある意味で変人と言われるようなひたむきさが重要である。一歩研究所に踏みこんだならば、変人であれ。しかし橋を渡り世間に戻る時には、人をいつくしむ心、すなわち仁に返れ。」と日立のウェヴサイトにあるそうです。
この研究所の建設にあたっては、小平浪平創業社長の「よい立木は切らず によけて建てよ」という意志を受けて構内の樹木は極力守られ、武蔵野の面影を今に残す貴重な自然が残っている園内には123種、2万7,000本もの樹木があり、年間100トンのCo2を吸収、人間300人分のCo2の排出量に匹敵しているということです。
「へんじんばし」の下はまさに手つかずのジャングルのよう。
園内のマップを貰って模擬店コーナーをチェック。地元産の日本酒も売られていましたが、園内での飲酒はできません。
さあ、いよいよ散策開始。次々と春の花々が道の先に広がります。
シャガ
スミレ
ツツジ
山 吹
竹の子
そしてもちろん桜も
面積10,000㎡の大沼には構内の湧水が集まり、水門から野川の流れにつながって行きます。
研究所散策を終えた一行は次なる目的地へ
「お鷹の道」
江戸時代に国分寺市内の村々は尾張徳川家のお鷹場に指定されていました。
それにちなんで、国分寺崖線下の湧水が集まり野川注ぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名付け、現在約350mの遊歩道として整備されています。
「真姿の池湧水群」
真姿の池をはじめとする崖線下の湧水群は、環境省選定名水百選の一つに選ばれています。
嘉祥元年(848)、絶世の美女 といわれた玉造小町が病気に苦しみ、病の平癒を願い全国行脚した際に、武蔵国分寺で願をかけたところ、「池で身を清めよ」との霊 示を受けて快癒したとの言い伝えから現在は弁財天祀られいます。
池は病を治し健康な姿になれる、というこで「真姿の池」と名付けられました。
「武蔵国分寺跡資料館」
国分寺は、天平 13 年( 741年)に聖武天皇が仏教よる国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺( こくぶんにじ )に分かれています。
ここ武蔵国に置かれた国分僧寺は現在も発掘調査が続いています。
武蔵国分寺七重塔推定復元模型
銅造観世音菩薩立像
「武蔵国分寺」
お鷹の道西はずれにあり、正式名称は医王山景勝院国分寺、真言宗豊山派の寺院。
伝承では「分倍河原の戦い」で焼失した武蔵国寺は、新田義貞の寄進により薬師堂が再建されたと伝 わっています。 江戸時代に入ると徳川幕府は、由緒ある寺社に領地を与えて保護をしました。国分寺の薬師堂も三代将軍家光から慶安元 年に九石八斗九升八合の寄進を受け、朱印状を下されました。以後、十四代家茂までの朱印が残っており享保 18 年には本堂も再建されました。
現在の本堂は昭和 62 年に改築されたもの。境内に 文化財保存館、万葉植物園があります。
「国分尼寺跡」
尼寺区域は調査が終わっており歴史公園として整備されています。
たくさんの自然に触れ、歴史の勉強もし、楽しい一日でした。
この次の日立研究所公開日は11月18日、素晴らしい紅葉が見られることでしょう。